September Records

セプテンバーレコードの店主です

20歳の誕生日

20歳の誕生日、ロックの象徴として憧れていたジャック・ダニエルの酒瓶が実家から送られてきた。同封されていた手紙には「人の迷惑にならないことなら何をやってもよい」的なことが書いてあった。

 

その頃毎日のように通っていたレコード屋を出たあとに向かった楽器屋の隅で、「ギタリスト募集!」という一枚のチラシを目にした。そのバンドは女性ボーカルと男性ギター・ベース・ドラムの四人組で、最近ギタリストが脱退したらしく、新しいメンバーを探しているという。

 

大学のサークルで組んだぬるいバンドに飽きてしまっていたから、書いてあった番号に直ぐ連絡をいれた。そして彼らのライブを下北沢シェルターへ見い行き、後日オーディションに為スタジオに入った。

 

初期JUDY & MARYをよりシンプルにしたようなバンドで、正式メンバーになったのはその週数間後。すぐさま横浜近くの大学へ機材を持ちよりレコーディング。主に下北沢シェルター横浜CLUB24を拠点とし、ドブ板通りにある横須賀かぼちゃ屋でライブをした辺りは、なんかバンドやってる感があって楽しかった。

 

洋楽ばっかり聴いていた自分と、邦楽ばかり聴いていたリーダーとは方向性の問題など色々あった。その頃デビューしたての椎名林檎8cmCDを聴いて、自分の才能の無さを再確認させられたし、もやもやした気持ちでバンドをしているうち、同じレーベルにいたほぼ同期のバンドは華々しくデビューしていったり、、このバンドに居るべきか常に悩んでいた。

 

ライブをやる度に辞める理由を探しているのは辛かった。結局所属レーベルが変わることになったのを機にバンドを脱退。その後はバンドらしいバンドを組むことは無かった。そして最初から馴染めていなかった大学も辞めた。

 

そうやって中途半端に投げ出された社会、いくつかのアルバイト先では運悪く理不尽な人に頭を悩まされた。たとえ大人になったとしても子供じみたいじめは蔓延っていることがショックだった。出る杭は打たれ、やがて行く場所はなくなり、その場を去ることでしか状況は変えられないと思っていた。

 

ある日のこと、癒しとなっていたはずの行きつけの雑貨屋の店主から「先のことばかりで、今の自分が見えていない」と核心をつく言葉を突きつけられた。いつの間にか、周りで出世した人を自慢して自分も出世した気になったり、不満を撒き散らすだけでやるべき努力をしていない、ダメな人間になっていたのだ。

 

まだ20代前半の頃に運良く気づかせてもらえて、それからの人生ががらっと変わったと思う。照れくさく感謝の気持ちを伝えに行くまで3年以上かかった。

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22年前の成人の日は大雪で、都内に住んでいた僕には帰省するのが難しく、行くつもりじゃなかった成人式を欠席する理由ができて丁度良かった。

 

二十歳になったら"おとな"扱いをされ、幾つになっても心無い"おとな"風の人に惑わされ、周りから"おとな"になることを強要されるのがこの世。

 

それでも"おとな"を避けてたどり着く、この世の果てのような所に集まった少数のにんげんは、大多数の"おとな"を俯瞰しながら、"おとな"になんかなりたくないと死ぬまで言い続けることだろう。

 

だから成人式を欠席してバツが悪い思いをしている新成人は、両親に感謝の気持ちを伝えたあと、セプテンバーレコードに行き「バレーボウイズ / 卒業」買うことをオススメします。

待合室で読んだスラムダンク

ここ数ヶ月間色んな病院に行く事があった。特に耳鼻科の待ち時間は長く、花粉のピークは通り過ぎた先日、再診にも関わらず3時間以上待った。

 

その日は院長が休みだったらしく、待合室はパンパン。自分の番が回って来たとき、担当の先生はあきらかに憔悴仕切っていて可哀想だった。

 

診察結構適当だったけど、あの人数みてたらしょうがないよ、にんげんだもの。とか思ってしまった。

 


生活に適度な運動を取り入れようと、室内で走り回れるスポーツを探してたどり着いたバスケットボール。全く知識はないし、まずは漫画で情報を得ようと、未読のスラムダンクを全巻買い、病院の待合室で読み始めた。

 


昨日は朝9時から待合室の端っこに座り、完全版の22巻から読み始めたのだが、最終巻、写真のシーンで一人大泣きしてしまった。

 


うるうる状態のまま、高崎でバスケットが出来るところを検索したが、気軽に出来るところって全然ないんですね、、。体育館は抽選だし、外でもゴールがあって舗装されてて怖くないところがあれば、、、諦めないでボール買わないと。

 

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GLIM SPANKY / 大人になったら

「GLIM SPANKY / 大人になったら」という曲は、これまで世知辛い世の中だったけど、かっこ悪くも生き抜いてこれたことを全肯定してくれたし、なにより何もない田舎でレコード屋をやることを大きく後押ししてくれた、自分にとって大切な曲。

 

歌詞にある「レイバンとレコードを買ったあの店」のように、わかってくれる人から深く愛される店にしたいと思い、今まで頑張って来たつもりだ。

 

「どんなことが起きようとも 好きなものは好きで

綺麗なものは綺麗と思える人でありたい」


と、レミさんは語る。僕も同じ気持ちでいるし、限られた時間はそんな人たちと共にしたいと思っている。


これまで沢山良いお客さんやミュージシャンとの出会いがあり、お店をやってきて良かったとしか思っていないのだが、今日、この曲を書いて歌っているレミさんがご来店下さって、太鼓判を押されたような気がした。


あわあわと、そっと差し出した手をギュッと握り返してくれた。オープン以来店に掲げていた「大人なったら」のアナログ盤はじめ、グリムの全アナログにサインをして頂いたり、オススメのレコードを沢山買って頂いたり、、これまでの思いを頑張って伝えられて良かった。直視出来ないほど、優しさに包まれた天使のような方だった。

 

「こんなロックは知らない 要らない 聴かない君が

上手に世間を渡っていくけど

聴こえているかい この世の全ては

大人になったら解るのかい」


この曲をテーマにして明日からも変わらずレコード屋をやっていこうと思う。

 

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ヒナゲシとスズメ

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春になるとよく見られる、鮮やかなオレンジ色の野花・ナガミヒナゲシは、外来植物で繁殖力が強く、その場にいる在来種を絶滅させてしまうとかで、地域によっては特定外来種という扱いになっているらしい。

 


去年の今頃も国道沿い所々にこの花が咲いていて、綺麗だなあと思っていたのだが、恐らく駆除の通達でもあったのだろう、ある日を境にばったりと見なくなってしまった。

 


今年も今ならまだあちらこちらに咲いている。毎年のことだから、地域の人はこの花が駆除対象だと知らない筈はない。みんなはその花の儚い美しさを楽しんでいるのかも知れないし、全く気にも留めてないかも知れないが、もうすぐ狩られてしまうこの花のことを思うと、池の水全部抜くが如く、色んな感情が湧いてきてしまって辛い。

 

 

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一昨日のこと。

 


開店準備が終わりPC作業をしていると、入口の方からドン!という衝撃音がした。反射的にそちらを眺めると、まだかすかに何かがドアから落ちる姿が見えた。

 


一瞬雪玉を車道から投げつけられたのかと思ったくらい、重く、唐突で、妙に不吉な音だった。恐る恐る入口に近づいていくと、ドアから50cmくらい向こうに一匹のスズメが倒れていた。倒れたスズメ?という不自然なワードに思わず目を背けてしまったが、勇気を出してその痙攣したスズメを両手に乗せ、小さな花の咲くプランターの縁に沿って頭が上に来るように寝かせてやった。

 


そいつは口にエサを咥えている。巣に戻る途中、ガラス扉が見えず激突してしまったのだろう。

 


何も出来ずに見つめていてもだめだ、急いで店に戻り、キッチンペーパーに水を吸わせ、そいつの口元を潤してやったのだが、飲み込む余裕すらないようでとても苦しそうだった。

 


頭上には仲間であろう何匹ものスズメが鳴いている。突然いなくなったこの子を探しているみたいで辛かった。

 


「頑張れ!頑張れ!」と小さく声を出して回復を祈った。そいつはそれに答えるよう、一度大きく身体を揺らし、くちばしについていた水を飲んでくれたようにみえたが、ゆっくりと目の輝きがなくなって、終いには動かなくなってしまった。頭上にはまだ他のスズメたちが鳴いている。

 


目の前で死を迎えたスズメに、ここ半年間くらいに身の回りに起きた出来事を重ねてしまい、しばらくしゃがんだまま動けなかった。

 

 

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今日はよく晴れた1日だった。昨日とは違って窓から強い光が差し混んでいた。見て見ぬフリをしておいた、ガラス扉に残っていた羽をぞうきんで拭い取り、しっかりしなきゃなぁと自分を奮い立たせた。

 


それにしても今日入荷したアンプは音が良かった。ダフトパンクのアルバムを大音量で流していたのだが、耳障りがなく心地が良い。音の洪水を浴びながら片隅に溜まっていた本を拾い読みしていたが、いつの間にか一つの本に集中してしまったようで、来客にしばらく気がつかずあたふたしてしまった。

ノートルダム大聖堂

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朝からノートルダム大聖堂のニュースに心が痛む。

 


29歳から30歳になる7ヶ月間、中学の頃から憧れていたフランス・パリへ。留学という名のロングバケーション、色々なものを捨て、かけがえのないものを得る事ができた。

 


間近で見た大聖堂は神々しく、しばらく目の前の広場で行き交う人とこれまでの人生を重ね、旅の理由を反芻した。他に何を考えていたかは忘れたけど、今回の旅では中に入らずにおこうと願掛けしておいた。

 


当時の日記を探して読んでみたら、この日は朝からダイエットを兼ねて家からパリ市内を歩き、いくつかのレコード屋に行くもユーロ高に嘆き、歩き疲れて地下鉄で帰るという、やってることは今と変わらないじゃないかと思って笑えた。

 


12年前を俯瞰出来るようになって、次回こそはと思っていたので残念でならない。

OMENS OF LOVE

今朝、買い取ったレコードをきれいにし、袋に詰めて説明カードを書くということをしている最中、見覚えのある曲名に胸が熱くなった。

 


1992年10月に放送された、ボクたちのドラマシリーズ「放課後」のテーマ曲、The Square / OMENS OF LOVE」を発見したからだ。

 


この曲は中学の時ウォークマンで繰り返し聴いたが、ジャケットに見覚えがなかった。当時聴いていた音源は、よく通った図書館でCDを借りてカセットテープにダビングしたものだった。そして色々思い出してきた。

 


あまり良い体験が出来なかった中学時代。クラスでいじめられていた子をかばったのが原因で、極めて陰湿ないじめを受けるようになり、その環境から早く抜け出して自由になりたかった。

 


特に辛かった2年生のとき、文字通りにラジカセのスピーカーが激しく震え、晴天の霹靂だった音楽との出会いがあり、その日から、県内の進学校→東京の大学に進学・上京しバンドをやることが目標になり、勉強を頑張った。

 


あの時は本当に辛かったな。誰が悪のリーダーか分からないくらい、クラスのほぼ全ての男子から代わる代わる色々やられたし、集団心理は恐ろしく、助けたつもりのあいつからも痛みを受けた。たまにその様子に気づいたクラスの女子たちは僕をかばってくれたが、それがさらにエスカレートする要因になってしまった。

 

あの時の自分には未熟な男の集団をどうすることもできず、担任の先生や親にはバレないように振る舞うのが精一杯。自分の味方は、好きな音楽と深夜ラジオと小さなシンセサイザー、そしてたまに見ていたTVドラマだった。

 


15歳・中学3年の秋冬に放送されたこのドラマ「放課後」では、心と体が入れ替わってしまった男女の高校生たちが、法則通りにドタバタと色んな事があるのだが、紆余曲折あって良き仲間と組んだバンドがクライマックスで「OMENS OF LOVE」を演奏するシーンがあって、、、まるで自分の近い未来に起こる華やかな高校生活を予知しているかのようで、何度観ても美しかった。このシーンはまさに、苦しくて長かった高校受験最後の救いだったと思う。

 

希望校に入ったあとは、ドラマのように良い仲間と出会い、好きなだけバンドで音楽ができて楽しかったし、その後上京してバンドも出来た。

 

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今日の夕方、久しぶりに同業の友人が店に来てくれた。嬉しさと暫く引きこもっていた反動で、べらべらと調子にのって仕事の愚痴を話したのだが、友人が帰った直後から、もっと楽しい話をすべきだったなという後悔と申し訳なさでじんじんと胸が痛くなった。だんだんと増していく痛みと、懐かしい曲の熱い思い出が重なり合い、今まで味わった事がないような熱苦しい気持ちで頭がボーっとしてしまった。

 


閉店して夕食を食べたあと、急に病院に行かなくてはならない出来事があってドタバタした。一段落した後の帰り道、久々に母を乗せた車内で話をした。話題はさっきまでの病院での出来事が中心だったけど、誰にでもそれぞれの価値観があって、それを尊重すべきだと言うことで話を終えた。

 


自分の人格形成に最も影響があったのは、やはり中学時代の出来事だろうし、平成時代に紆余曲折あって今がこれであれだとしても、全く後悔どころか良かったとしか思ってないのだが、それは必要の無いものを20代で上手く切り捨てる事が出来たからであり、時々出没していたあいつ達のお陰ですとは行かないところが引きずっているのかもだけれど、、まあもうそれはそれでいいし考えるの無駄。

 


今の自分があるのは、出会うべき時に出会えた素敵な音楽とレコード、本や映画、人や人間、その他たくさんの好きなモノたちのお陰であり、、これからも好きなだけレコード買うし、自分らしく好きなものに囲まれて健康でいたいから、改めて好きなことだけやっていこうと誓った1日だった。とりあえず明日早起きしてパン買いに行く。

 

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おとなになれない

頑張って入った高校に制服は有って無いようなものだった。学校の行事がある日以外は、学ランの下だけ履いていれば、上に何を着ていても怒られず、多くの生徒はポロシャツ・パーカーにスニーカーを合わせたり、おのおのが自由な服装で登校していた。


高校一年の秋頃、夏のファッション誌(MEN'S NON-NOだと思う)で気に入っていたスニーカーをやっとのことで買うことができた。足下をそのスニーカーでキメて登校した初日の下校時刻、玄関に行くと自分の靴箱が空だった。パニックになって辺りを探しまくったが、黒地に白いライン輝くスニーカーはどこにもない。履き間違えたと言って戻ってくる人もいない。


まさかこんなことになるとは。受け入れるまでしばらく時間がかかったが、当時人気だったスニーカーだから恐らく盗まれたのだろう。


既に仲の良い友だちは下校済みで気持ちの向けどころがない。今日はこのまま上履きを履いて帰るしかないか、でもやはりその姿を見られるのは恥ずかしい。こんな状況、早く誰かに話を聞いてもらいたいのもあり、校内の公衆電話から親に電話をかけ、車で迎えに来てもらうことにした。


迎えが来るまでの時間、事実報告のため初めて教育指導室を訪ねた。熱血指導で有名だった先生は、短髪黒光りで竹刀を小脇に抱え、80年代のドラマから出て来た様な出で立ちで、ちょっと苦手だった。


独特な圧迫感のある部屋は居心地が悪い。先生はこちらを見ようともせず、「なんだ(ォラ!)?」と書類を見続けている。取りあえず自分のスニーカーが無くなったことを簡潔に説明することにした。


話の途中、先生は、遮るように一言「盗まれるような靴を履いてくるのが悪い」と吐き捨て、こちらを睨みつけた。そしてまた持っていた書類を読み始めた。


こちらが期待してた言葉とは正反対の無関心なセリフを受け、しばらく呆気にとられてしまった。自由の範疇で選んだ靴が盗まれたことは自己責任かもしれないが、それで終わりでいいのかと思った。「それは残念だったな」のような枕言葉くらいで良かったのに、大人になって偉くなると、それさえ使えなくなるのか。


出て行けと言わんばかりの沈黙に部屋を追い出される間際、かなしさと怒りで睨み返すことしか出来なかった。

 

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21年前の成人の日は大雪で、都内に住んでいた僕には帰省するのが難しく、行くつもりじゃなかった成人式を欠席する理由ができて丁度良かった。


成人の日は「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」ことらしいけど、子供の対義語は"おとな"とは限らないし、成人と"おとな"は同義語とは限らないと思う。この小さな店の中でも、心ない人に揺さぶられ、"おとな"とはなんだ?と思ってしまう出来事が度々ある。本当に"おとな"ってなんなんだ。


二十歳になったら"おとな"扱いをされ、幾つになっても心無い"おとな"風の人に惑わされ、周りから"おとな"になることを強要されるのがこの世。


それでも"おとな"を避けてたどり着く、この世の果てのような所に集まった少数のにんげんは、大多数の"おとな"を俯瞰しながら、"おとな"になんかなりたくないと死ぬまで言い続けることだろう。

 

だから成人式を欠席してバツが悪い思いをしている新成人は、両親に感謝の気持ちを伝えたあと、レコード屋で「バレーボウイズ / 卒業」買うことをオススメしておきます。いつまでも"大人"になれない人たちへも。

 

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