連鎖
久しぶりに開いたコラム本の冒頭3ページで手が止まってしまった。
- - - - - - - - - - - - - - - -
はっきりとした”悪意のメール”を受け取ったとき、「悪いことしていないのに、なんでこんなこと言われなきゃいけないの」とは思ず、自分がこの人を攻撃したのだろうなと思った。
コツコツとコラムを書き続けること自体、人によっては攻撃ととらえる人がいる。ある人が必死で自分を生きている。そのことだけで、すでに攻撃。
そして、著者が一番そっとして欲しかった時期、持ちきれなかった悪意を、自分より弱い、罪もない母にぶつけてしまった。
どうして、悪意は、つよいものから、弱いものへ、権力のあるものから、ないものへ、大人から、こどもへと、はけ口を求めるのだろう?
~中略~
今日、自分から良い連鎖を起こせるか。
- - - - - - - - - - - - - - - -
ある人が必死で自分を生きている姿を、攻撃と感じてしまう人、SNSでみるあの感じ、なんだか切ないが、わからなくもない。
いままで人を信じてきたし、大事な時には助けられてきたから、人の繋がりを誰よりも求めてしまう。
どうやらボクは、ひとに期待し過ぎちゃうから、毎回必ず少し裏切られるらしい。それを知ってから、とても楽になった。逆にもっとひとを信じられるようになり、いやだと感じる人が減った。
分人主義などと、簡単なことばで済まされちゃうのはシャクだが、それも当てはまってしまうようだ。
インターネット、特にSNSを利用するようになり、同じように社会から仕分けられ、引き寄せられた共通言語を持つ方々とは、話が早いし、とても心地良い。
しかし、SNSで知ったような気になって、そのままにしてある事も多い。全部を知るのは不可能だし、選択肢が多いのは逆に辛い。
流されちゃうと、みんなと同じ体験しかできないから、常に自分で選び続けて、リアルな経験を積み重ねていくのが大事だ。そうすれば無茶をしなくても、じゅうぶん生きてる実感はできる。
中略したところが、実は一番ぐさっと来た所だったのだけど、まだ消化できないからやめた。
とりあえず、今日は朝から部屋を片付けて、いつもより母と話した。