September Records

セプテンバーレコードの店主です

むだな自意識

f:id:September-Records:20171030215406p:plain

早く起きちゃって、近所のパン屋でモーニングを食べながら読み返している本の一節の要約。 

- - - - - - - - - - - - - - - -

18歳の頃、シャンソン歌手が歌う店に間違えて入ってしまい、客は自分一人。ヒラヒラドレスのお姉さんがマイクを持って歌いながら近づき、「オー、シャンゼリゼ〜」と歌ったあと、こちらにマイクを向けてきたが、顔を真っ赤にして無言で店をとびだした。

そして47歳になって「そういう無駄な自意識とはようやく無縁になれた」「いまなら恥をかなぐり捨てて大きな声でわざと楽しそうに演技して歌っていると思う」。

- - - - - - - - - - - - - - - - 

挨拶ができない、「ありがとう」とか「いただきます」が言えない、などは、人との付き合いを決定的に左右する問題だと思うけど、さっきのシャンソン歌手のくだり、みたいなことは、ひとによってはあってもいい「無駄な自意識」だなと思った。「無駄な自意識」を自覚していればいいと思う。

頭から否定して、世間的に言えば「大人になる」ことの方がつまらないような気がするし、強要したり流される方が良いという世は、辛い。

ぼくはいつになっても、人の目を見て話すのが苦手だし、話を伝えようとすればするほど、話したいことが湧き出てきて話が脱線しちゃうし、常にひととの接しかたについて考え過ぎだ、と思う。

でも今は無駄な自意識を自覚している人を、受け入れてくれる人や場所が沢山あるのは知っていて、その中でしか生きられないことを自覚しているから、とても楽。

クラブイベントでみんなが楽しそうに踊っているなか、「無駄な自意識」が邪魔して輪に入れず、でっかいスピーカーに向かって一人で踊るしかないようなひとや、かつてそうだったひとが好き。

ビラまきのコジマさん

f:id:September-Records:20171030215901p:plain

今から15年以上前、小田急線のとある駅周辺に住む彼女がいて、デート帰りによく家まで送ったりしていた。いつも駅の構内で青いキャップとベンチコートなどを着てビラを撒く、ひとりの青年がいて、僕らは彼をコジマさんという愛称で勝手に呼んでいた。

コジマさんはいつも、通行人の邪魔にならない絶好の場所に立ち、動作は自然、声の大きさやトーンも街に馴染んでいたし、自分に関係ないジャンルのチラシだったけど、思わず頂きたくなるような、ビラ撒きのプロだった。 .

「今日もコジマさん、いたよ。」と何度会話に出たかわからないくらい、おそらく彼は沢山の人に愛されていたはずだ。

彼女との関係も深まり数年経ったある日、コジマさんにも相棒というか、後輩が出来たみたいで、丁寧にビラ撒きのノウハウを伝授していて二人で楽しそうに仕事をしているのを見かけた。

それから後輩は増え、現場を任せられるようになると、コジマさんはパッタリと見かけなくなってしまった。会えないのは寂しいが、彼の昇進か、あらたな門出を勝手に祝った。

その駅にはそれから何年も通ったけど、コジマさんには会えない。たまに街でビラ撒きをしている人を見ると、コジマさんならこうするのにな、と思い出したりしていた。

それから群馬に戻って四年、ビラ撒きも居ないし、コジマさんの事はすっかり忘れていた。

昨夜から新宿ゴールデン街で朝まで6時間も呑んでうつつを抜かしたあと、371番のカプセルルームに飼われたようでやはり眠れず、ふらふらだけど、無理して 地下にあるいつものポークカレーを食べて、地下階段を上がると、眩しい日光に目をやられたのと同時にビラ撒きの声が頭をぐるぐる。

そういえば、コジマさん今頃何してるのかな、そう思うのと同時、蛍光オレンジのジャンパーを身に纏いビラを撒く、真っ黒に日焼けをしたコジマさんが目の前に現れた。

コジマさん!!なにしてるんですか!!!と声を掛けたかったが、一瞬にして彼の人生がフラッシュバックして立ち止まれず、振り返ることも出来なかった。

今日一日、彼の15年間を想像しながら店に立っていますので、コーヒーでも飲みに来てください。すっきりドリップがオススメ。